時代をつなぐ

真壁保育園が、茨城県保育協議会の広報誌「保育通信」に掲載されました。

hoikutusin

(茨城県保育協議会広報誌「いはらき保育通信(2015年3月)」10頁)

創立の精神を継ぐ

真壁保育園は桜川市(旧真壁町)の得生寺(とくしょうじ)──延徳二年(一四九〇年)開創の浄土宗(宗祖:法然上人、総本山:知恩院)の寺院──の境内地にある創立昭和七年の保育園です。

真壁保育園の法人名「和順福祉会」の「和順(わじゅん)」は法然上人が昭和天皇から賜った大諡号(おくりな)から頂いています。

得生寺は歴代住職が近隣の子弟教育につとめ、学問の寺として親しまれてきました。真壁保育園もその流れを汲むものといえるでしょう。

特に得生寺第二十二世小池智誠師は四十年間にわたり数百人の教え子をもち、その薫陶を受けた人々が各方面にて活躍しました。

昭和七年に、第二十三世長谷川良信師は、この伝統の中で当寺境内に「真壁保育園幼稚部」を設立しました。

同年、師が制定された「真壁保育園幼稚部規則」の前文には、創立の精神が、

「寺として、宗教家として為すべき最大の天職は、申すまでもなく、良き魂を育て上げることであります。出来る限り、コドモ中心の、清くして力あるはたらきを進めていきたいと存じます。我らの愛児たちを通して、此の町の輝かしい将来を約束したいと思ふのであります。」

と謳われ、今に引き継がれています。

その後、良信師は大乗仏教精神に基づく青少年教育、社会福祉事業を推進し、「淑徳大学」の創立者となりました。

第二十四世長谷川俊峨師は、終戦後疎開していた文化人を登用して「光明文化学園」を開設、信仰を中心とした総合的文化活動(茶道・華道・箏曲・書道・洋和裁・英語・中国語)を約十年間にわたって展開し、最盛時には学生八百人を擁したといわれています。

また、俊峨師は「真壁保育園幼稚部」を更に発展させ昭和二十四年(児童福祉法制定の翌年)保育所としての認可(当時は俊峨園長の個人立としての認可)を受け、定員七十名の「真壁保育園」を発足させました。

真壁保育園は昭和五十年には定員二百十名(現在定員二百五十名)となり、昭和五十六年には社会福祉法人設立認可を受け、現在まで多数の卒園児を輩出し地域の福祉、幼児の教育に貢献しています。